【感想】11/3公開:映画『ゴジラ-1.0』を観てきた!あらすじと感想まとめ(※ネタバレあり)

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先日、11/3(金)公開の映画「ゴジラ-1.0」を観てきました!

この記事では、映画のあらすじ・内容と私の個人的感想を述べたいと思います。

※以下ネタバレありです。)

映画のあらすじ

大戸島での悲劇

時は太平洋戦争末期。

敷島浩一は、特攻兵として出撃したものの、死への抵抗感から機体の故障を装い、目的地の途上にある大戸島に着陸する。

大戸島は、日本軍の小さな飛行場と整備兵たちが暮らす小さな島だった。

その夜、大きな地響きを聞いた敷島と整備兵たちが外を見ると、目の前には信じがたい光景が広がっていた。巨大な生物、ゴジラが島を襲撃したのだ。

整備兵隊隊長である橘宗作は、敷島に、彼の乗るゼロ戦の機関砲でなら倒せると踏み、狙撃を促す。撃てるのは訓練を積んだ敷島だけだった。

促されるままゼロ戦の操縦席に乗り込んだものの、目の前に迫り来るゴジラの脅威に怯えた敷島は、仕留められるタイミングで砲撃をすることができなかった。

ゴジラはそのまま島を踏み荒らし、整備兵たちは喰われる者もあれば、踏みつぶされる者もあり、結果として、敷島と橘以外は全員死亡した。

戦後、何もかも失った日本

その直後、太平洋戦争は終結した。敷島は実家に帰ったものの、辺りは見るも無残な状況だった。

家屋は空襲で焼けつくされ、まるで何も残っていなかった。

「生きて帰ってこい」。敷島にそう告げた両親は、空襲で死亡していた。隣人の太田澄子は、生きて帰ってきた敷島を非難し、罵倒した。

何もかも失った敷島と、戦後復興に向かう日本のその後がはじまる。

典子という女

ある日、敷島はひょんなことから、闇市で大石典子という若い女に出会う。

典子は戦争中、見知らぬ夫婦から預けられた昭子という赤ん坊を連れており、生活に困窮していた典子は、人の好さそうな敷島を利用しようと、敷島の家に住み着くこととなる。

「新生丸」の仲間との出会い

少しずつ復興への道を歩み始めている東京の地で、敷島と典子、昭子の3人の生活もささやかながら、続いていた。

ある日敷島は、昭子のためにも金が必要だと考え、命の危険を伴う代わりに高い給与が支払われる地雷撤去の仕事を決めてくる。

仕事内容は、木造船に乗って海に出て、海底にばらまかれた地雷を撤去するものだった。

乗り込んだ船は「新生丸」。乗り組み員である艇長の秋津清治、船員見習いの水島四郎、学者の野田健治は皆、気のいい人物で、敷島を温かく迎え入れる。

戦時中に飛行機に乗っていたことから狙撃の技術があった敷島は、地雷を狙い撃ち爆破させるのが上手く、同僚から一目置かれる。

仕事にも慣れ、高給取りとなった敷島の生活は徐々に向上し、典子と昭子との関係も確かなものとなっていった。

ゴジラ再出現

日々復興の道を歩む日本と共に、敷島の人生も、すべてが順風満帆に進んでいるかに見えたが、悲劇突如再来する。

ゴジラが東京に上陸したのだ。

ゴジラはそのまま、東京の地を踏み荒らし、戦後、人々が必死の想いで積み上げてきたものをいとも簡単に一蹴してしまった。

典子を心配した敷島は、逃げ惑う群衆の中からなんとか典子を見つけ出し共に逃げるものの、ゴジラの熱線による凄まじい爆風で、自身の目の前で典子を失うこととなる。

ゴジラ駆逐作戦

大戸島での後悔に加え、典子を失った悲しみに苛まれた敷島は、何としてもゴジラを倒すことを決意する。

再び姿を現す可能性があるゴジラを野放しにしておくわけにはいかないと判断した政府は、とある機密計画をスタートさせる。

野田を中心とした学者たちがゴジラを科学的に倒すために考案した「海神作戦」決行のため、元海軍兵をはじめ、意志のある者たちが結集した。

敷島は、新生丸の同僚、秋津や水島とともにこの作戦に参加する。

敷島の個人的計画

作戦実行のため、日々準備が進められていた。そんな中、敷島は一人とあることを計画していた。

いざという時にゴジラを誘導するためと称し、戦闘機を工面してもらうよう野田に依頼した。

実は敷島は、もし万が一海神作戦が失敗したとき、爆弾を積んだ機体でゴジラの体内に突っ込み、ゴジラを仕留めようと考えていたのだ。

ゴジラとの死闘

作戦決行当日

再び現れたゴジラを相手に、野田や秋津をはじめとした全員が、作戦通り決死の覚悟でゴジラに立ち向かう。

予測不能なゴジラを相手に、作戦は一筋縄ではいかなかったものの、なんとかゴジラにダメージを与えることができているかのように見えた。

が、しかし、最後の段階までいったところで、ゴジラが再び暴れだし、作戦は失敗に終わったかのように思われた。

そこにいる全員が絶望の淵に立たされたその時、敷島の乗る戦闘機が現れた。

野田らは、予定にない軌道を描いて飛びまわる敷島を見て、焦燥する。

敷島はそのままの勢いで、ゴジラの口の中に突撃。次の瞬間、機体に搭載していた大型爆弾が爆発した。

頭部を爆破され、動きを止めるゴジラ。

敷島はゴジラを倒すために特攻した、敷島を死なせてしまった。

そう思い、愕然とする野田たちだったが、次の瞬間、煙の中から脱出装置で脱出する敷島の姿をとらえた。

敷島は生きてゴジラに勝利したのだった。

敷島の戦争の終わり

頭部に決定的なダメージを与えられたゴジラは肉塊となって海中に沈み、海神作戦は成功を納めた。

港へと凱旋した敷島のもとに駆け付けたのは、昭子を抱いた澄子だった。一通の電報を受け取った敷島は、都内の病院へと向かう。

そこには、自分のせいで死んだと思っていた典子の姿があった。

ベッドに駆け寄る敷島を優しく抱きしめ、「浩さんの戦争は終わりましたか」と問う典子に対し、敷島は涙を流して何度も頷くのだった。

感想

ゴジラ駆逐作戦で垣間見えた、人間の側面

ゴジラに何もかもを奪われ、すべてを失った人々は皆、悲しみや怒りでザワついていました。

海神作戦の説明会の際も、野田ら学者への疑念や政府への不信感を募らせ、声を荒げることしかできない人間が大勢いました。

人間は、己の理解の範疇を超えたものに出会うと、その存在を拒絶します。ゴジラという得体の知れない恐怖に対し、どうすればいいのか分からなくなった人々は、その責任を誰かに押し付けて束の間の安心感を得ようとします。

しかし、ゴジラを駆逐する覚悟を決め、海神作戦の準備に取り掛かってからの人々の表情は、それまでとは全く違っていました。

ゴジラを倒す海神作戦を決行する、そう目的を定め、それぞれの大切な人がいる日本を守ろうと覚悟を決めた人々は、なにか吹っ切れた表情をしていました。

また、自分が役に立てる、そう思えた瞬間に人は迷いが消えるのだとも思いました。

しかし、正直、そんな人々の様子を見て、どこかに恐怖感というか、違和感も覚えました。

ゴジラを倒す作戦には、危険が伴います。誰も、命の保証はできません。それは皆分かっているはずなのに、ゴジラを倒すんだ自分がこの国の役に立つんだ、そう目的を自分の中で正当化していました。

その目的と覚悟が果たして正しいのか、疑うことをせず突き進む姿に、一種の恐怖を覚えたのです。俺たちならやれる、全員がそう信じて突き進む様子が、戦争のときと似ているような気がしたからです。

海神作戦は、ゴジラを倒すという目的のための手段でしかありません。しかし、海神作戦という、信じてのめりこめる対象を見つけたことで、それ自体が目的と化してしまう。組織が、目的手段を取り違えて思考停止状態で突き進む恐ろしさ。この国の国民性が孕む危険性を感じざるを得ませんでした。

「生きて、抗え。」に込められたメッセージ

「生きて、抗え。」

この映画のキャッチコピーです。映画を観る前は、ジブリ作品「もののけ姫」のキャッチコピー「生きろ。」に似たものを感じ、「なんだかかっこいいキャッチコピーだな。」くらいにしか思っていませんでした。

しかし、映画を観た後、このメッセージが持つ意味を再確認させられました。

特攻を逃れて生還した敷島。他人を犠牲にし、生き残ってしまったことへの後悔。

ゴジラを倒すためなら自分の命などくれてやるという精神状態だった敷島が、最後に選択した身の振り方。

ゴジラを倒すことと生きて帰ること。そのどちらかを選ばなければいけない理由なんてない。ゴジラを倒し、生きて帰ってくればいい。

まさに、「生きて」、「抗う」こと。

何かを得るためには、何かを失わなければならない。というのは、全ての物事に当てはまるわけではないようです。

どちらも両立させる道を探る事。

死ぬための戦いではなく、生きるための戦いをすること。

特攻という、死ぬための戦いからはじまり、生きて帰ってくるための戦いで終わる。敷島の中での戦争が、命を失わなずに終わってよかった。そう思います。

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