【感想】映画「キリエのうた」あらすじ解説・考察。※ネタバレあり

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本日、ついに公開前から楽しみにしていた映画「キリエのうた」を鑑賞してきました!
早速、映画を観た感想や、物語の内容について紹介していきます。

映画の詳細情報

作品名:キリエのうた
原作・脚本・監督:岩井俊二
音楽:小林武史
出演者:アイナ・ジ・エンド・松村北斗・広瀬すず・黒木華ら
主題歌:キリエ・憐みの讃歌
公開日:2023年10月13日

石巻、大阪、帯広、東京――。
作中では、4人の男女の運命が、岩井監督のゆかりある4つの土地を舞台に紡がれていきます。

彼らの運命が交錯し、様々なものを生んだ先には何があるのか。
映画初主演を務めるアイナ・ジ・エンドが本作のために制作した6曲とともに、登場人物たちの壮大な旅路が描かれます。

公式HP: https://kyrie-movie.com/

あらすじ(※ネタバレあり)

物語の内容を時系列に整理すると、以下の通りです。
(※映画を観た後の、私個人が覚えている範囲で書いております。そのため、少々間違っている箇所もあるかもしれませんが、ご了承ください。)

2010年石巻

夏彦と希

夏彦(松村北斗)希(きりえ)(アイナ・ジ・エンド)が関係を築くきっかけとなったのは、地元の友人との集まり。

実は、二人が会うのはこのときが初めてではない。以前希は、夏彦にバレンタインのチョコを渡していた。

元々、夏彦は希に対して特別な感情は抱いていなかったが、彼女からの好意に応える形となり、二人は一歳違いの恋人同士となる。

やがて希は妊娠。

実家が病院である夏彦は医者を目指して大学受験を控えていた。希の妊娠や将来のことに心が揺れる夏彦。
結局、第一志望である地元の大学合格は叶わなかったが、大阪の大学に合格。希と結婚を約束する。

震災

しかし震災によって、希と彼女の母が行方不明に。

希には歳の離れた妹、路花(るか)がおり、彼女だけは一命をとりとめる。身寄りのない路花は、姉である希の恋人、夏彦を頼りにするしかなかった。以前姉から、夏彦が大阪の大学へ行くことを聞かされていた路花は、彼がいるであろう大阪へ向かおうと、大阪行きのトラックに乗り込む。

2011年大阪

路花と夏彦の再会と別れ

小学校の教師をしている風美(黒木華)は、屋外で一人過ごす路花を見つけ、保護することに。

このとき、路花は震災のショックからか、話すことができなくなっていた。風美は彼女のランドセルの中に、石巻市の市外局番と彼女の名前「小塚路花」とが書いてあるものを見つける。

なんとか路花の身寄りを探そうと、「石巻市」と「小塚」の情報を頼りにSNSで調べてみると、「小塚希」という女性を探しているというアカウントを見つける。

そのアカウントに連絡を取り、待ち合わせをしたところ、そこに現れたのは夏彦だった。

夏彦は震災により大学に進学して医者になる夢を絶たれ、現在はボランティア活動をしているという。未だ行方が分かっていない希に対して強く罪悪感を抱いている夏彦は、路花のことだけでも責任を持ちたいと、彼女を預かるべく風美とともに児童相談所に連絡する。しかし、二人とも路花との血縁関係がないことから、離れ離れになってしまう。

2018年帯広

夏彦と路花の再会、真緒里との出会いと別れ

路花の連絡先や居場所を知る術がなくなった夏彦は、その後帯広の牧場で働くことに。一方路花の方は、孤児院で幼少期を過ごした後、夏彦を追って帯広の牧場付近の高校に進学した。帯広で再会を果たした二人は、よく夏彦の家で時間を過ごし、そこには穏やかなひと時が流れていた。

その頃夏彦は、牧場の社長からの頼みで、たまたま路花と同じ高校に通う、路花より一つ上の学年であり大学受験を控えた真緒里(広瀬すず)の家庭教師を務めることになった。

真緒里の部屋には、家を出て行った父親が残していったギターがあった。学生時代にギターの経験があった夏彦は、そのギターをきっかけに真緒里と仲良くなる。

真緒里が路花と同じ高校に通っていることを知っていた夏彦は、路花と友達になってほしいと話す。もともと友達のいなかった真緒里は路花に話しかけ、次第に二人は仲を深めていった。

こうして夏彦と路花、真緒里に繋がりができ、三人は夏彦の家でギターを弾いて遊ぶなど、親密な時間を過ごしていった。

やがて真緒里は大学受験に合格し、夏彦の家庭教師としての役目は終了。真緒里は夏彦が家に来た最後の日、路花に渡してほしいと父のギターを渡す。

真緒里の進路も決まったことで、彼女と離れ離れになる淋しさはあるものの、穏やかな時間はずっと続くかと思われた。しかしある日、路花を預かる里親から連絡が入ったことで、児童相談所の職員が夏彦の家にやって来る。この日を境に、児童相談所の職員たちによって、路花と夏彦は再び引き離されてしまう。

2023年東京

キリエとイッコ

路上ミュージシャンとなった路花は、東京で「キリエ」と名乗り、道端でギターを弾きながら歌を歌い、日々を過ごしていた。

ある日、いつものように道端でギターを片手に座っていた路花の前に、偶然にも真緒里が通りかかる。

二人は帯広以来の再会を果たしたのだった。真緒里は、過去の自分を捨てるために、「イッコ」と名乗っていた。

「キリエ」と名乗る路花
「イッコ」と名乗る真緒里

路花の歌声に感銘を受けた真緒里は、路花のマネージャーとなると宣言。真緒里が持つ人脈を駆使したり、SNSを使った積極的な売り出しによって、徐々に路花のファンを増やしていく。

家を持っていない路花は、真緒里が頼りにしている中年男性「ナミダメ」の家に転がり込むことに。

路花の活動はその後も順調に進み、やがて、その実力が音楽プロデューサーの目に留まる。路花が徐々にプロへの道を進んでいく中、真緒里はある日突然温泉に行くと言い残し、姿を消してしまう。

真緒里の行方が分からなくなり心配する路花だったが、真緒里の帰りを信じて、音楽活動を続ける。やがて、「キリエ」のファンを公言する路上ミュージシャンの仲間が集まり、彼らで「路上主義フェス」を開催することが決定する。

ある日、路花がいつものようにナミダメの家に帰ると、ナミダメの様子がおかしい。真緒里が結婚詐欺容疑で指名手配を受けているというのだった。

真緒里に騙されていたことを知ったナミダメは半狂乱になり、路花はナミダメの元から逃げ出す。

後日、路花が一人で道を歩いていた時、警察に呼び止められ、真緒里について事情聴取を受けることに。

身寄りのいない路花の近しい関係者ということで、夏彦が呼ばれることになる。

路花と夏彦は、帯広で児童相談所によって引き離されて以来の再会を果たすことになった。

夏彦の懺悔

夏彦は、路花の歌を聴き、前より力強くなった路花の姿に安心する。少しではあったが、路花の路上ライブにギターとして参加し、懐かしい時間を過ごすことが出来た。ライブの帰り道、夏彦は路花に、「なぜ今まで連絡しなかった」と問う。路花はそれに対し、「迷惑が掛かるから」と答える。

路花はずっと、自分のせいで夏彦に迷惑が掛かると思っていた。

その言葉を聞き、「そんなことない」と言う夏彦。

恋人である希を守れなかった罪悪感を抱き、路花と大阪で再会した日からずっと、路花だけは自分が守ってやらないと、と思っていたのにそれを果たせなかった自分。

「俺が守ってやらなくちゃいけないのに。」
「一度も守れなかった。」

「許してくれ…。」

涙で声をにじませる夏彦を「いっぱい守ってもらったよ。」と優しく抱きしめる路花だった。

再び姿を現した真緒里

また日は変わり、姿を消していた真緒里が突然、路花の前に姿を現す。真緒里が戻ってきてくれて喜ぶ路花は、近々開催する「路上主義フェス」に真緒里を招待する。

「路上主義フェス」当日

フェス当日。観客もそれなりに集まり、順調な駆け出しだった。ところが、フェスの許可取りをしていなかったことから、警察が介入し中断することに。

メンバーの演奏とともに歌を歌い始める路花。
演奏を中断させようと介入する警察。
路花の歌声に魅了され、徐々に集まってくる人だかり。

そんな混乱が繰り広げられる中、別の場所では、真緒里が路花のフェスに向かう道中で男に刺さる。「こんなのかすり傷」とつぶやいて、真白な洋服を血で染めながら、路花へ送ろうと用意した青い花束を持って会場に向かう。

真緒里の姿が見えないながらも、力の限り歌を歌う路花。

魂を削るように、命を燃やすようにして歌う彼女の歌声が、空に向かって響くのだった。

その後、東京の一角

東京のどこにでもあるような、ビジネスホテルのような一室。
どこか非現実的な生活感を漂わせた部屋の中に路花の姿があった。

ギターを片手に壁にもたれかかり、歌を歌う。

その姿はまるで、真緒里と再会したときの、東京の道端で一人歌を歌っていた路花の姿と同じようだった。

映画を観た感想

以上が、物語の各場面を時系列順に並べてみたときの、全体のあらすじです。

夏彦と路花と真緒里の持つそれぞれの想いやエピソードが重なり、離れ、また重なる様子が、人生について考えさせられる作品となっており、そのストーリーに非常に引き込まれました。

楽しい事や嬉しい事ばかりではない人生に対し、苦しんだり葛藤したりする彼らの様子を見て、切ない気持ちを味わう瞬間が多かったです。

夏彦の傷

特に、夏彦が路花に泣いて詫びるシーンは、どうしようもなく切ない気持ちになりました。自分も沢山大変な思いをしただろうに、夏彦に恨みや怒りの感情など一切抱かず、むしろ自分の存在が夏彦の迷惑になると引け目を感じている路花。路花の大切な姉である希を守ってあげられなかった罪悪感を拭いきれない夏彦にとっては、路花のそんな純粋さが、自身の心を余計に辛くさせるのだろうなとも思いました。

路花の純粋さ

夏彦に対して自分を迷惑だと言うように、路花は他人を責めたり疑ったりしません。そんな、周囲や世の中に対する純粋さやあどけなさに、心が締め付けられました。

詳しいことを何も言わず、姿を消してしまった真緒里に対しても、ただ彼女の身を案じ、いつかきっと戻って来る、だからずっと彼女が自分のマネージャーだと周囲に言う。そして、また突然自分の前に姿を現した真緒里を見て、非難の言葉を浴びせたり、結婚詐欺容疑について問いただそうとしたりするようなことは一切せず、ただ一言、「心配した」と言って安心した顔を見せる。

音楽プロデューサーに対しても、今の音楽をやれている時間がただ楽しい、先のことはよくわからない、と幼女のように笑います。

震災にあってから、人を疑ったり遠ざけたりしてしまう人間になってしまってもおかしくないような境遇を歩んできているはずなのに、ただ純粋に、子供のまま大人になってしまったような路花が愛おしくも切ない気持ちになりました。

キリエとイッコの「青」

真緒里が路上主義フェスに向かう途中、路花に買っていった青い花束は、「キリエ」の色でした。路花がキリエとして音楽活動を行うときに衣装として来ていた鮮やかな青色のワンピースの色です。

また、作中さまざまな色のウィッグや服装を身に着けていた真緒里でしたが、路花と再会した日とフェスに向かう日は青いウィッグと白い服装だったのがどこか象徴的に感じました。真白な服を赤い血が染め、青い花束とのコントラストで、そのワンシーンが切なく美しいものになっていたように思います。

過去のトラウマを救済していく物語

大学の頃、心理学の授業で、人は過去のトラウマを「物語る」ことで救済されていく、という話を聞いたことがあります。

人生のある一点でトラウマを生んでしまった直後、人は「沈黙」し、それらを自分の言葉で「語る」ことで次のステージへと進み、また新しい人生を「再生」させていきながら生きていくのだと。

夏彦は風美に自分の過去を話し終えた後、「誰にも言ったことないです」と言います。震災の日からずっと、「自分のしでかしたことをなかったことにしたい気持ち」を抱きながら一人もがき苦しみ、「沈黙」していたのではないでしょうか。しかし、風美との出会いと路花の姿を目にしたことでそれらを自らの言葉で「語る」きっかけとなり、夏彦は人生を「再生」していったのだと思います。

夏彦はその後も路花と離れ離れになったり再会を果たしたりと紆余曲折ありながらも、東京で路花のライブを聴き、路花と向き合ってこれまではっきり言えなかった懺悔の言葉を「語り」ました。夏彦が過去の傷から救済され、人生を再生させていくことができる未来となってほしいと思いました。

路花は声を出そうとすると泣いてしまいます。これもある意味では、震災のトラウマを抱えた路花の「沈黙」かなと思いました。話そうとすると声が出ない。その代わり、歌を歌うことはできる。歌を歌うことが彼女なりの「語る」行為となるのではないでしょうか。

路上主義フェス当日、客席に路花の大切な人である夏彦と真緒里の姿はありませんでした。しかしそこに二人がいなくても、大空に向かって歌い続ける路花の姿は、自分の声で懸命に「語る」ことをしていたように見えました。「語った」先には彼女の姉、希もきっといることを路花自身も願っていたのかなと想像します。彼女の人生もまた、「再生」の道を辿ってほしいと思います。

ただ、フェスの後日の路花の姿は、ただ一人、暗い東京のどこかの一角にありました。真緒里やミュージシャンの仲間たちと音楽で繋がり、駆け抜けた日々がひと時の夢だったかのように、その姿は以前の路花のようでした。楽しい時間は「永遠には続かない」ことを示すかのようで、現実の無慈悲さというか、いたたまれなさのようなものを感じ、切なさがこみ上げました。

本作では、路花や真緒里、夏彦がその後どんな人生を歩んでいくことになったのか、その後をはっきりと示唆することはしていません。それはこの作品を見た一人一人の解釈に委ねられているのだと思います。

アイナ・ジ・エンドさんの歌

ここまで物語の内容について、色々と感想を綴ってきましたが、ここからはアイナ・ジ・エンドさんの歌に対する感想をお話しさせてください。

実をいうと、私はアイナのファンです。BISHとして活動していた頃から彼女の歌声に感動し、応援しています。

今回の映画の中でアイナの歌声を何度も聞くことができ、ファンとしては感無量でした。アイナの歌声を聞くと、不思議と涙が出そうになります。アイナは、人の心の奥深くまで到達してしまうような歌声を持っていると思います。そんな唯一無二の歌声を持つ歌手に出会えて、とっても幸せです。

スクリーンの中で歌うアイナは、幼い路花でありキリエであり、一人のアーティスト、アイナ・ジ・エンドであるような気がして、とても感慨深かったです。

歌声は素晴らしいのに、普通に声を出して話すことができない幼い雰囲気の路花が、歌を歌えばたちまち圧巻のパフォーマンスなのに、普通に話すとなると途端にたどたどしくなる、本来のアイナと重なるように思えたりして、微笑ましくもありました。

どこか儚げで危うい雰囲気を帯びたアイナの憂いのある表情や、魂の籠った歌声を味わうことができ、この映画を観に行って、歌を聴きに行って本当に良かったと思いました。

おわりに

公開前から楽しみにしていた「キリエのうた」。

今回映画館に観に行って、本当に良かったです。作品を観て、色々な感情を味わわせてもらいました。

この映画を観に行った皆さんとも、そんな素敵な感想を共有できたら嬉しいなと思います。

以下、公式HP

音楽映画『キリエのうた』| 10月13日(金)公開 (kyrie-movie.com)

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